いつもインドで感じる事は、民族と宗教のバランスです。大乗仏教は世界の宗教では稀に、国の名、(民族)の名を冠して語られる事の多い宗教です。チベット仏教。中国仏教、朝鮮仏教、日本仏教など。また上座部仏教でさえ、スリランカ、タイランド、ビルマと同じ上座部でありながら、民族意識の要因である程度違いがあるのではないでしょうか?
今、インドで問題になっている、ムンバイテロ事件もパキスタンのイスラム過激派の犯行のようですが、パキスタンは大多数のパンジャブ人の国で、アフガニスタンやイランなどとはスンニ、シーアの違いもありますが、やはり言語、民族の違いで同じイスラム教であっても国が分かれています。
しかし過激派は国境を越えてサウジアラビアからパキスタンまで、またはマレーシアまでのネットワークがあります。
日本において、「チベット問題」を仏教者が連帯して考えるこの会は、民族意識ではなしに、同じ仏教者のアイデンティティーを探る大きな運動の始まりと考えます。日本は常に日本仏教の特殊性を前面にだしてきましたが、チベット問題を通して、普遍的、仏教観を共有出来る機会が出来た事をうれしく思います。
チベット仏教はインド学僧のカマラシーラと中国の禅僧摩カエンのラサの宗論で戦われた討論でインド仏教をチベット国王チソンデチェンが取り入れた所から出発しています。
古代のチベット人は近い民族性より、思想性を尊んだ事が分かります。インドに30数年住んでいますと、つくづくインド人はいないなあと思うときがあります。パンジャブ人、ベンガル人、グジャラート人、ビハール人、UP人などと分かれてますが、似たようなヒンドゥー教徒としてのアイデンティティーを持っています。
しかし個別のヒンドゥーは違います。日本の皆様がチベット問題を通して、改めて、民族、宗教の問題を肌で感じてくだされば幸いです。
合掌
中村 行明
当会の幹事で、インドで活動する中村行明師からのレポート「インドからの便り」がスタートしました。
インドに住んでいることで見えてくるチベット問題について、また身近に接するチベット人たちの様子などを、紹介していただきます。
インドは仏教の地ですが、現在は仏教は少数派です。しかし、その精神は脈々と生きて、人種の坩堝であるインドにおいて今復興の兆しもあります。中村師は、そのようなインドにおける仏法再興の活動に取り組むお一人であり、深くインド人社会に根ざし、インドの人々とともに祈り、ともに苦悩し、ともに喜び、ともに生きています。
その一方で、インドに亡命してくるチベット人のコミュニティーとも深い関わりを持ち、祖国を失っているチベット人たちがおかれている現状にも、深い理解と共感を寄せ、長年支援を続けています。
急速な経済発展の中で、インド社会も大きな変化を迎えています。
その激動のうねりの中に身をおいて見えてくるチベット問題、日本にいては感じることが出来ない国際的な視点に立った問題理解などについて、中村師のレポートはきっと大きなヒントを与えてくれるでしょう。
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