スーパーサンガ会報誌、平成二十七(2015)年夏号より、井之元秀昭氏のコラムをご紹介いたします。

ご厚意をデオラリ・チョルテン・ゴンパに

シッキムの仏塔

◀シッキムの仏塔

 スーパーサンガの会員の皆様へ。
 賢明でやさしい心を持ったお坊さんを育てるために、ヒマラヤの麓シッキムに安住の地を見つけたチベット仏教の慈悲の光を絶やさないようにするため、皆様のご厚意をデオラリ・チョルテン・ゴンパに届けさせていただきました。
 このお寺の管長はドトップチェン・リンポチェで、今年八十八歳です。チベットで一番古い仏教の伝統(古訳ニンマ仏教)を大切に今に守っています。現在、約七百人のお坊さんたちが、学問に、また修行に励んでいます。
 さて、デオラリはインド・シッキム州の州都ガントクにあるお寺の所在地です。世界の屋根ヒマラヤ山脈の麓にあり、チベットとの国境も近くにあります。
 今年二月にチベットの年末に毎年行われる大法要に参加し、皆様のご供養をお届けするため、チョルテン・ゴンパを訪ねました。
 ガントクに向かって登る幾重にも曲がりくねった道からは、今でも将来の生き物たちに役立つよう、仏様の教えが隠されていると信じられている聖山カンチェン・ジュンガが、幾度か顔をのぞかせます。
 チョルテンとは、チベット語で仏様の遺骨などを納める仏塔のことです。お寺の中心にそびえる、大きな仏塔がその名前の由来です。チベット仏教文化圏では、とても大切な信仰の対象で、仏様の「御心」のシンボルとされています。
 その、ありがたい仏塔を囲むように、本堂、僧房が軒を連ねています。

本堂の外装

▲本堂の外装

 お寺といっても、中心にそびえ立つ仏塔の存在がなければ、誰もここがお寺とは気づかないかもしれません。本堂の外装は、インドであれば、どこででも見られる、ごく普通の建築様式で建てられています。チベット仏教の僧院であれば、必ずと言って良いほど取り付けられている、鹿と法輪の飾りや、金色や、原色の色鮮やかな彩色もありません。本堂内もガランとした体育館のような雰囲気で、密教儀式に最低限度必要な飾り付け以外、壁画や彩色、絢爛豪華な仏壇もありません。ドトップチェン・リンポチェのご意向で、お坊さんを育てる以外にお金を使わないというお寺の方針があるためです。
 お坊さんたちは丁寧に、また、厳しく育てられているためか、優しくて、立ち居振る舞いも、お坊さんらしく、きちんとしています。お寺での生活について、彼らに尋ねても、多くは、日々の学問や、修行三昧の生活にとても満足していて、偉大な高僧の傍で学べて、いかに自分は幸運であるか、また、ドトップチェン・リンポチェはご高齢だし、少しでも長く、近くにいて学びたいという言葉が返ってきます。彼らの素直な信仰心には頭が下がります。
 さて、お寺での生活は次のとおりです。

講義の時間割

 基本的にはクラスごとの講義。全部で三〇クラスあり、一クラス最小で三十人くらいです。
 五~六時、お経の暗記。六~七時、暗記の試験(一人ずつ記憶の結果を試験されます。待っている人間はこの間も暗記に励みます)。七~八時半、本堂に入り、先ず朝のお勤め。信者さんたちからお寺に依頼されているご祈願をします。病気が治りますようにとか、仕事がうまくいきますように、家族や地域の人たちが皆幸せに暮らせますようにといったお願いごとが叶うように、お坊さんたちが心を込めてお経を読みます。お志をいただいたスーパーサンガの皆様も、仏様の慈悲と智慧の教えがこの地球上に残ることを祈願されており、毎日お祈りしていただけることになります。
 八時半~九時、再試験。先ほどの暗記試験に不合格のお坊さんたちが、再び試験に臨みます。すでに合格したお坊さんたちはさらに次回の試験に備え暗記を続けます。九~十時半、それぞれの教室でそれぞれの担任の先生から教えを授かります。一クラスは四十人程度です。授業の前半では仏様の教えや優れた学僧の書かれた本をしっかり学びます。後半は別の教室で、仏教、特に密教の教えに欠かせない儀式の仕方について学びます。先生と一緒にそれこそ、手取り足取り、実際に儀式をしながら学びます。間違えると先生から叱られたり、クラスメートの失笑を買います。この写真では、先生の正面に座る弟子が間違ったためにからかわれて、照れ笑いしている様子です。クラスメートは笑いをかみ殺しています。前半の授業の厳粛さとは違って、少しリラックスした空気の中で着実に儀式について、学んでいきます。

儀式で使う楽器の使い方について学ぶ

◀儀式で使う楽器の使い方について学ぶ

 十時半〜十一時、クラスの副担任の先生が担任の先生の講義の内容をもう一度復習します。十一〜十二時半、昼食(定番は米のご飯、ダール〔レンズ豆のスープ〕、野菜の惣菜)。十二時半〜十四時 チベット文字の学習。新参のお坊さんたちはチベット文字の楷書・行書の書き方を学び、古参の僧は仏画など学びます。十四~十六時、学徳のある学僧による、講義。ここでは、各クラスの生徒はもとより、各クラスの担任の先生、副担任のお坊さんも含め全てのお坊さんたちが、教えを聞くために一堂に会します。十六~十七時、儀式で使う楽器の使い方について学びます。楽器にはホラ貝、シンバル状の打楽器、チャルメラのような音階を持つ管楽器、ホルンのような低音の管楽器などがあります。最初は音さえ出せませんが、慣れてくるに従って、美しいメロディーを奏でることができるようになります。この写真はチョルテンゴンパで教育のために預かっていただいている、ニチャン・リンポチェのお寺のお坊さんの楽器の使い方の成果を試されているところです。
 十七~十八時、仏様の教えを守る神々をお祀りします。日本で言う四天王や、吉祥天、聖天様、龍神様などです。何百という神々たちにお神酒などを捧げて、しっかりと、仏様の教えを守り、人々や生き物たちが幸せに暮らすのを妨げる障害から守ってくださるようお願いします。とても速くお経を唱えるので、新米のお坊さんたちは、ついていけないので、この間にチベット語の基本をしっかり学びます。

仏教の儀式に使う供物

◀仏教の儀式に使う供物

 十八~十九時 仏教の儀式に使う供物などの作り方を学びます。習熟してくると、写真のようにきれいなものが作れるようになります。一回の儀式で使い捨てしてしまうには惜し過ぎる完成度です。
 十九時から夕食。場所柄、ブータン人が多いこともあってブータン人の国民食とも言える米が中心。さらに、エマダーツィ(唐辛子と発酵させたチーズをベースにした料理でブータンでは必ず毎日の食卓に出るもの)。肉は一週間に二回程出ます。料理人は在家の人たちで七人います。お坊さんは学問と修行のみに専念すべしと言うことで、基本的に料理の手伝いはしませんが、月々、あるいは、大法要がある時は料理人だけでは手が足りず、お坊さんも手伝います。お寺が、まだ小規模だった頃は、お坊さんたちが自分たちで料理をしていたそうです。
 二十〜二十一時、食後もさらに暗記をするためクラスに集まります。普通の僧侶はそれぞれの経典の暗記に励み、新米の小僧さんたちには、手をかけてさらに先生が教えます。二十一時、やっと就寝です。二十一時以降は電燈をつけてはいけません。
 寝る時と食事以外はほとんど全てと言っていいほど、お坊さんたちが集まって、暗記や学問に励みます。こうして見ると、日本では、暗記中心の教育に疑問が投げかけられていますが、チベット仏教のお坊さんの世界では、先ず徹底的にお経を記憶させるという教育が根本にあるようです。こうして、厳しい仏教訓練を受けて、さらに、学問に強く魅かれるお坊さんたちには、仏教のより深い仏教哲学のコースが待っています。このコースを終えた優秀なお坊さんたちから、次世代に仏様の教えを伝えてゆく先生が選ばれることになります。
 こうした仏様の教えについての学習は、お寺をあげての大法要がある時を除いて、ずっと続いていきます。特に、まだ幼いお坊さんたちは、休みの時に帰郷すると、そこで堕落してしまうケースが多いので、特にしっかり先生たちが見守るそうです。

ドットプチェン・リンポチェにお会いする経緯

ドトップチェン・リンポチェ

▲ドトップチェン・リンポチェ

 今回ドトップチェン・リンポチェにお会いするにあたって、ニチャン・リンポチェには大変お世話になりました。ドトップチェン・リンポチェは、ご体調があまり、すぐれず、バンコクでの治療を終えて、お寺に戻られてすぐのタイミングでした。一切面会謝絶でしたが、ニチャン・リンポチェはご高齢ということもあり、お互い来年はどうなるかわからないからということで、特別のお時間を取って謁見していただきました。私も幸い、ニチャン・リンポチェに同行が許され、直接ご供養をお渡しすることができました。ご病気で、大変な中、お体を起こして説明を聞いていただきました。皆様の思いはあらかじめ、ドトップ・リンポチェ不在の際、代行をお勤めになるトゥルク・トクメー・リンポチェに、時間をかけてご説明させていただきました。ドトップチェン・リンポチェの体調が良いときを見計らってご説明いただけるよう、謁見の前にあらかじめお願い申し上げました。あまり施主に恵まれないニンマ仏教に、特にお力添えをいただけるということで、にっこり微笑んでいただき、喜んでおられました。
 スーパーサンガの皆様からのご供養は、お坊さんを育てるのに使わせていただきます。

ニチャン・リンポチェからのお礼

 ご恩深き宗派を超えた僧伽の皆様へ。
 今回は、皆様からの深い思いのこもった、チベット仏教のお寺へのご援助をいただき、本当に感謝しています。チベットは日本と同じように大乗仏教の国で、大きく分けて四つの宗派があります。私は幼い頃から幸運に恵まれて、全ての宗派の勉強をすることができました。これも私の師のお加持によるものだと確信しています。私はニマチャンラ僧院大学という学問寺で長い間、仏教哲学の学問をいたしました。そこで得た私の一つの確信は、古訳ニンマ仏教がとても純粋な教えだというものでした。

 古訳ニンマの時代、九世紀半ばまでに、仏様のお言葉、教えは、ほとんどインドの言葉からチベット語に翻訳され、それ以降、自分の国の言葉で読経や修行ができるようになりました。そう言う意味ではチベット仏教のお母さんとも言えると思います。
 すばらしい学問と実践の流れがあるにもかかわらず、古訳ニンマの学問仏教の流れは一時衰えました。古訳ニンマの教えに従うお坊さんや信者たちは、どちらかというと、厳しいお籠りの修行をして、山の洞窟などで座禅をすることが好きで、仏教の教えをしっかり体系的に学んで、次世代に残そうというという努力はあまりしてきませんでした。十九世紀になって、宗派にとらわれず、今に残るお釈迦様の教えをきちんとまとめ、次の世代に残そうという努力が始まりました。古訳ニンマ仏教を中心に、他の宗派からも優秀な学僧が何人も現れました。この学僧たちが、チベットに伝わる沢山の経典と、当時まで先生から弟子へと千年以上の長い間、大切に守り伝えられてきた仏様の伝授の流れを整理、編纂し、宗派にとらわれず学ぶ流れが確立されました。これがいわゆる〝超宗派(リメー)運動〟です。一番大切な点は、宗派の考え方にとらわれず、インドでお釈迦様が教えられた原点に戻ろうと言うことです。全ての仏教の教えをまんべんなく学び伝えられている、ダライ・ラマ法王がその代表例でいらっしゃいます。また、法王がことあるごとに、チベット仏教の教えの原点はナーランダ僧院大学にあるとおっしゃっているのは、インド仏教がチベットの根本ですよ、という意味です。

 宗派という枠組みを越えて危機にある仏法を守ろうとされている、皆様のスーパーサンガと相通じるところがあるかと思っています。私が中心として学んできた仏教の教えは、この超宗派の精神が背骨になっています。
 私にとっては、深いご恩がある古訳ニンマ仏教ですが、学問と修行に打ち込むあまり、残念ながら、政治能力に欠け、マネージメントという点では、とても遅れているのが現状です。学問をするといっても、それを支える環境が大切であるはずなのに、あまりにもそうした面を軽視してきた経緯があります。私が微力ながらも、チベットで消えつつある僧院の流れをインドのカリンポンで再興したいというのは、こうした事情に対する反省があります。
 亡命後、やっと古訳ニンマ仏教の価値が海外の学者などにも見直され、施主が現れ、徐々に復興してきている現状があります。力のある大僧院の中は過去の反省から、厳しい亡命生活の中で、必死に努力し、相当復興してきているものもありますが、未だ、経済基盤が欠け、学問しようにもままならない僧院もあります。

 こうした、細々と教えを守るチベット仏教の法脈に、スーパーサンガの皆様からあえて、お力添えをいただけることを心より感謝申し上げます。チョルテン・ゴンパは古訳ニンマ仏教でも、一番深い修行と教えを守っています。ただ、チベットの外では、ここしか、その流れをしっかりと守っているところはありません。その意味では、貴重な仏様の教えを守るうえで、皆様のご供養は、とても大きな意味を持つと、チベットの仏教文化を何とか守りたいと乞い願う一チベット人老僧として心よりお礼申し上げます。
 スーパーサンガの皆様のご意向と同じく、このヒマラヤのいただきに生きる私を育んでくれた、貴重な純粋な教えを何とか守り、生きとし生けるものの苦しみを少しでも減らすことに力を尽くしたいと存じます。どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

老僧ニチャン

後書き

 今回はスーパーサンガの皆様のお気持をお届けする役割をつとめさせていただき、心から感謝申し上げます。
 チベット仏教が亡命しているヒマラヤの地域(インド、ネパール、ブータン、シッキム)は昔から、仏教が栄えてきました。
 中心はチベット語による経典で、学問や、儀式、修行を実践してきました。
 チベットが版図を広げたときは、この地域一帯もチベットの一部であったこともあります。亡命したチベット人のお坊さんたちの多くは、こうした地域で、何とか仏様の教えが消えないよう、教えが純粋に残るように、次の世代のために教えを残そうと努力されています。それと同時に世界中の仏様の教えを求める方たちのために、生き物の苦しみが無くなるよう、仏様の光が行き届くよう、力を尽くされている沢山のお坊さんたちがいます。
 亡命チベット人社会でも、日本と同じように、教育費の高騰もあり、少子化が進み、チベット人の子弟でお坊さんになる方の数は本当にわずかです。早くからキリスト教系のミッションスクールで英語をベースに勉強し、より良い就職の機会や、より良い生活環境を求めて海外への移住を目指します。
 一部の大宗派、大僧院は別にして、ブータン人やシッキム人、ラダック人といったヒマラヤの麓の民族、仏教系のネパールの民族がお坊さんのほとんどを占めるお寺も少なくありません。
 祖国亡き今となっては、民族を問わず、ともかく、残せるところに教えを残すことに全力を尽くすしかないという現実があります。このたびの皆様のご供養はチョルテン・ゴンパのお坊さんたちの生活をサポートし、また、お経の印刷など、仏様の教えを学び、次の世代に残してゆくための大きなお力添えとなります。
 チベットの国があった当時の教えを何とか、復興しようとしている、ヒマラヤの麓のお寺に皆様のお心をご供養という形で伝えられたのであれば、本当にありがたく思います。チベット語の能力の無さと、低い仏教理解のため、十分なレポートができたとは言えませんが、どうか、お許しください。