スーパーサンガ会報誌、平成二十八(2016)年春号より、長野県上田市海禅寺副住職、西蔵宝篋印塔奉賛会常任委員の飯島俊哲氏のコラムをご紹介いたします。

ギャンツェの中心的存在の寺院、パンコル・チューデ。その存在感に圧倒される(2005年チベット)

◀ギャンツェの中心的存在の寺院、パンコル・チューデ。その存在感に圧倒される(2005年チベット)

 チベット──。多くの人には、秘境というイメージが伴う地であり、また時としてその代名詞としてもその語が用いられるこの国は、私にとって強い憧れの存在であり、また多くのよき影響を与え続けてくれている、かけがえのない師のような存在です。

 私とチベットとの出会いは振り返ると十数年前になります。当時二十三歳であった私は、父が住職を勤める寺を継ぐべく、宗派(真言宗智山派)が定める行位(修行)を修め、僧侶になりました。しかしその頃の私は己の自信のなさから、自分自身が僧侶であるということの拠り所を探し求め、心身ともにさながら迷走状態でした。

 そんな時、ひょんなことから日本に移住してきたばかりのあるチベット人と知り合い、親しく友だち付き合いをするようになりました。ちょうど私と同じ年の弟をもつ彼女は、よく私の悩みを聞いてくれ、それが故に私自身も姉のように慕い、自分の悶々とした心情を包み隠さず吐露していました。そうした折に彼女がかけてくれた言葉の端々には、不思議な優しさと温かさがあり、そこにとても救いを感じたものです。そしてそんな彼女の心の核にはいつも仏教があり、何より愛情深く、仏教が説く因果の法則を旨として日々を生きるその姿勢には、不思議な潔さがありました。

 また彼女の生活の中には常に祈りがありました。狭いアパートにはダライ・ラマ法王十四世の写真をはじめ、観音菩薩やターラー菩薩のタンカ(掛け軸)がかけられていて、その前で幼少期から使っているという経本を手に日夜祈りが捧げられていました。当時、仏教というものを、認識の狭い私自身の日本仏教文化観のみを通して捉えていたせいか、仏教そのものを生きるチベット人という人たちの存在は、私に強い衝撃と憧れの思いを芽生えさせました。

 チベットとの縁はそこから大きく広がっていき、同じく日本に住むチベット人たちとの付き合いに加えて、私の足は海外に向いていきました。ネパールにあるチベット難民キャンプや、チベット亡命政府のある北インドのダラムサラ、そしてチベット本土(現チベット自治区)、ヨーロッパで亡命チベット人が最も多く住むスイスへと、ご縁の風が吹くままに貧乏旅行をしながら、その縁を紡いでいきました。それと同時に、国を失い、未だに激しい文化的虐殺を受け続けているチベットが抱える苦難の現実にも直面しました。いにしえより仏の教えを指針としてきた国チベットが、時代の流れと大国間の欲望の波に吞み込まれ、ある人はいわれのない罪で牢に繋がれ、またある人は惨殺され、そしてチベットの人々は世界中に離散し、流浪の民となっています。チベットの苦しみを通して世界の広さを知ったとき、私は押し寄せる自分の無力感とやるせなさで胸がいっぱいになりました。

聖地ラサの中心にある最も聖なる寺院・ジョカン前にて、一心に五体投地の祈りを捧げる人々(2005年チベット)

◀聖地ラサの中心にある最も聖なる寺院・ジョカン前にて、一心に五体投地の祈りを捧げる人々(2005年チベット)

 チベット人たちの精神的支柱であり、今や世界中の仏教者たちのリーダー的存在でもあるダライ・ラマ十四世法王猊下は、一九四九年にヒマラヤを越えてインドに追われ亡命してから、一度もチベットに帰れないままです。しかし私たちはこうしたチベット問題の根の深さに出会ったとしても、その問題の大きさを前に思考停止してしまいがちです。そんな時、ダライ・ラマ法王のお言葉は多くの示唆を与えてくれます。

 私が拠り所にしている法王のお言葉に、「Universal responsibility=普遍的責任」があります。私はこれを、いつでも、どこでも、誰であっても、苦しんでいる人のその苦しみに共感共鳴し、何とかしたい、それに応えたいと思う我々の心のありようであると理解をしていますが、この普遍的責任を、私たち仏教を拠り所にしている者の立場から考えると、普遍的責任とは、世界の苦しみに対して私たち仏教者は、常に普遍的な責任を持っているのだと言えるのではないでしょうか。これは言わば慈悲の精神の具体的な責任を指しており、世界に慈悲の力(非暴力)を喚起していくということであろうと思っています。そして何より一連のチベット問題について私たちが一番考えなければならないのは、ダライ・ラマ法王を中心に非暴力を掲げる人たちが、どうしてこんなにも苦しまなければならないのかということです。

 チベットという国は、仏教国になってから、自国を他国の侵略から守るのに十分な軍事力を持ちませんでした。確かに軍隊はありましたが、他国を武力で制圧できるような規模の軍隊ではなかったと言われています。チベットは文字通り、仏教に基づいて政治を行ってきた仏教国です。もし軍隊を持たなければ、今の、今までのチベットのような理不尽な苦しみを味わわなければならないのであれば、皆が武力を持たねばならない。そういう意味からするとこれは世界平和のあり方が問われる問題でもあるし、非暴力を掲げる仏教への挑戦であるとも捉えられないでしょうか。

 私はチベット問題を考える際、この非暴力と普遍的責任という視点からこの問題に向き合うことが、重要であると考えています。それはつまり、〝世界の苦しみに、私たちはいかに応え得るのか〟を考えるという事でしょう。私たちは、決して見て見ぬふりをして、無関心であってはなりません。そしてこうした営みは、チベットの平和に向けた願いにとどまらず、グローバルな視野から世界平和について考えていく起点となるでしょう。

 前号の会報で岡澤慶澄師が述べられているように、長野市の善光寺の背後にそびえる大峰山の中腹、花岡平に建つ『西蔵経宝篋印塔』は、まさに先人たちが世界の平和を祈念し建立された、祈りの塔であります。当時の発起人の方々の思いは連綿と今に連なり、そのバトンは私たちの世代にまで届きました。もちろん世界平和とは、その口当たりの良い言葉の響きほど、実現はたやすいものではなく、厳しさが伴うものであると心得ています。しかし私たちが一心にその実現を祈るという行為を核に、これからの時代を歩み行動していくのであれば、それは大きな力となり、それを実現する一助となり得るだろうと信じています。これからも思いを同じくする仲間と、この世界平和を祈る心のバトンを胸に、微力ながらもその勤めを果たして参ります。

合掌
(『建立五十周年記念 西蔵経宝篋印塔由来記』「西蔵経宝篋印塔奉賛会」発行 寄稿文加筆)